ファストパスでゲートをくぐり巧妙に作られたアトラクションに乗るよりも、時間をかけて赴いた地でリアルを体感する方が余程生きている実感が湧く。
あらためてそう感じたのは2018年に青森・下北半島に延びるJR大湊線を北上した時のこと。
JR大湊線(青森・下北半島)
1本の線路をたった1車両で走るパンタグラフのないディーゼルエンジン車の両側に咲き誇る黄色い花やススキ、不意に開けて原っぱや畑が見えたりする。
圧倒的な土地との近さに驚きを隠せない。
そんなJR大湊線もこの度の翌年2019年9月に100周年を迎えたらしい。
松林の間を走り、時折陸奥湾や風量発電のプロペラが見え隠れする。
美しい線路道は圧巻
開けた青い空に白い雲、そして間近に迫る大きなプロペラ
物理的な距離と心理的な距離
どんな場所でも其処へ辿り着くにはきちんと距離があって、実際に近づいてゆくプロセスを経ることで、その土地との心理的な距離を縮めることができる。
もしかすると『体験』という結果は見栄えの良い容れ物なのかもしれない。
そこに至るルートを考えたり、時間を調整したり、そういう事をごちゃごちゃとやればやるほど、もの凄く遠い場所だと思っていたところが、ほんの少し知っているかもしれない場所になる。
旅は発見のプロセスであると同時に、それまで未知だった土地に馴染みを得るプロセスでもある。これは学習や研究において体感できることと似ている気がする。
与えられる体験は原体験ではない
人類の技術革新は賞賛に値する。
けれど自然に出来上がったものにはそれ以上に敬意を払いたい。
森羅万象の摂理により仕上がったものに人は到底及ばない。我々人間はそれを目の当たりにするとどこからともなく感動する。そして模倣し、理解しようとする。
はじまりは人工的な体験でもいい。それが興味の入り口や踏み出すためのキッカケとなればいい。
風の冷たさとそこに紛れる匂い、車両の軋む音と揺れ、移り変わる風景。
複合的な感覚がREALな体験をより確かなものにしてくれる。
2018年当時、自分はアミューズメントパークよりも、電車の揺れと景色の移り変わりを感じている方が楽しめるタイプの人間なんだなとしみじみと感じたことから、このように考えていた。
けれど今の時代、デジタル化がさらに加速している。
バーチャルの先にメタバースやデジタルツインといった新たな技術が続々と生まれる中で、あらためて自身の五感+αで体感する原体験の大切さを見つめ直したい。