かつての私は自転車に跨がれば子供心にどこまでも行けると思っていた。そしていつしか、もっと遙か遠くへ連れ出してくれる存在を知った。
▷Draco Prostratus|地を這う竜
その竜は化石燃料や電気を喰らいヒトを運ぶ。ガタゴトと鳴きながら竜路に沿って長い身体を這わせ、驛舎で待つヒトビトを飲み込んでは放流する。雨の日も風の日も、早朝から深夜まで堂々たる唸りをあげて各々の縄張りを行き来する。
Draco Prostratusとの健全な付き合い方
Draco Prostratus(ドラコ ・ プロストラータス|地を這う竜)と健全に付き合うためには、その距離感と節度が必要だ。
竜にだってプライベート・スペースがあるし、急には止まれない。邪魔をして彼岸への道が開かれてしまったら、竜とて良い気はしないだろう。
だから近づく予兆があれば竜路に立ち入ってはいけない。竜が完全に停止し腹を開くまで、プラットホームのイエローラインで待つのが礼儀だ。
竜と征くTRANSIT JOURNEY
生活圏の車窓、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車。
もし、いつもと同じ電竜に乗って目に映る世界が違って視えたら、それは貴方が旅へといざなわれている証だ。
各地に生息する竜を乗り継ぐことでヒトも遠くへ行ける。
竜のネットワークがさらに遠くへ、悠久の旅を可能にする。
各地にどんな竜が生息しているのだろう。
その先には一体何が待っているのだろう。
本当の意味でそれを知ることができるのは、その風を己の身に浴びる者だけだ。
各地に生息する竜脈を巡り、ヒトはゆく。
遠く、その道が続く限り。
旅の効能
非日常に浸って自分を解放することで、日常に充足やメリハリをもたらす。旅にはそんな効能がある。誰かにとっては平凡な日常のワンシーンでも、今まで視ようとはしていなかった光景は奇妙に思えることもある。
ならいっそのこと、思いっきり違った世界に飛び込んでみたら面白いのではないか。
Magic Realism(魔術的リアリズム)
非現実的な出来事や現象を "ありきたりの風景" として描写する手法。
元はラテンアメリカに起源を持つ美術技法であり、のちに文学の世界でも発展した。
規則にとらわれず自由な発想を育む風土が生み出した表現技法は、豊かな物語性や幻想性を織りなす "非現実的な日常" を描くことを可能にする。
*Magic Realism(魔術的リアリズム)は奇妙な光景を当たり前のこととして扱うことから、不思議な世界を "奇妙なもの" として楽しむ奇譚やファンタジーとは一線を画すものである。
動物が話したり、死して星になったりしても、誰もツッコミを入れたりせず当たり前のこととして着々と話が進む神話に似ていると言えばわかりやすいだろうか。
ならば非日常に身を置く旅においては「現実にはこんなことは起こらない」という想像の枠を壊し、予想できない展開を物語っても良いのではないだろうか。
奇妙さこそ旅の日常であり醍醐味とも言える。
それこそが旅に期待することでもある。
initial draft 2024.05.18
rewrite 2024.09.01