列車でゆく綺世界探訪

その窓から見える風は綺世界の色

あの世に最も近い場所

あれは2018年の夏。遠路はるばる、北へ。

ひとり恐山の地を踏んだ。

 

恐山という山はない

青森県下北半島。まさかり型の半島のど真ん中に山に囲まれた宇曽利湖があり、一帯の活火山を総称して "恐山(おそれざん)" と呼ばれている。

蓮華八葉

宇曽利湖は周辺を八つの山(剣山、地蔵山、円山、鶏頭山、北国山、屏風山、大尽山、小尽山)に囲まれており、これらは『蓮華八葉』と呼ばれる外輪山、つまり "カルデラの縁" にあたる。

少し外側に位置する朝比奈山と釜伏山も恐山の一部。

カルデラ

火山噴火でできた巨大な凹地のこと。カルデラ壁と呼ばれる急な崖で囲まれ、凹地に湖ができることもある。地下にはかつての火山体や火砕流堆積物が埋もれている。

caldera(スペイン語で「釜」の意)

 

強酸性で透明度の高い宇曽利湖

カルデラ湖である宇曽利湖は湖底から硫化水素が噴出しており、水質が強酸性(pH3)の硫酸の湖だ。曇天の下、抜群の透明度を誇る。

強酸性の環境では生きられるものが限られているからだ。

もちろん皆無ではなく、海底火山の熱水噴出孔にだって高温・強酸性の環境が好きな生きものが生態系を形成する。

この宇曽利湖にはウグイという魚が棲息しているらしい。

 

三途の川を渡る

JR大湊線下北駅で乗り換えたバスの車窓から宇曽利湖が見えると、車内に温泉(硫黄泉)の香りがふわりと漂う。

「硫黄の匂い」と表現することがあるけれど、硫黄(常温で固体)はおそらく匂わないので、正確には硫黄化合物。ちなみに中学校の理科で習う『卵の腐った匂い』は硫化水素、これを水に溶かしたものが硫酸。

静寂な湖の眺めと、えも言われぬ香りに気を取られていると、視界の端に赤が映る。宇曽利湖へと流れ込む "三途の川" に架かる小さな赤い橋だ。

ここでは赤い橋を渡ることが【三途の川を渡る】とされている。

渡りきるとあの世行き。興味本位で踏み込んだ者は途中で引き返せるだろうか。

そこを過ぎた湖の畔には恐山菩提寺がひっそりと佇んでいる。

 

霊場・恐山

恐山は高野山比叡山と並ぶ屈指の霊場で、あの世に最も近い場所と称されることもある神聖な場所。その所以は口寄せを生業とするイタコの存在にあるのかもしれない。

口寄せ

死者の霊を自身の身体に憑依させて死者の言葉を代わりに伝えること

イタコ

口寄せを行う霊媒師、シャーマンの一種

現代の日本では恐山のイタコが有名。邪馬台国卑弥呼もいわば口寄せをする者として君臨していたと解釈できる。

シャーマン

神霊や祖先の霊を通じて予言や治病を行う呪術者のこと。その手法は歌やダンス、魔術、占いなど様々な形態をとる

シャーマニズムは日本古来の原始宗教であり、世界各地で現在も信仰されている

 

恐山 ル・ヴォワール

恐山を知ったきっかけは、子供の頃に読んだ漫画だった。

『シャーマンキング』(武井宏之, 集英社, ジャンプコミックス)に"イタコのアンナ" というキャラクターが登場する。

イタコのおばあちゃんに育てられた女の子で、色んな意味で強い。

主人公・麻倉葉が島根県・出雲から青森県・恐山へ旅立ち、許婚となるヒロイン・恐山(きょうやま)アンナと出会う過去編としてのエピソードが『恐山(おそれやま)ル・ヴォワール』である。

voir:ヴォワール(フランス語で「会う」の意)

le voile:ル・ヴォワール(フランス語で「花嫁のヴェール」の意、隠語)

au revoir:オ・ルヴォワール(フランス語で「さよなら」の意)

いつか彼の地へ

作中で描かれる青森の情景、哀愁漂う詩、風車が醸し出すノスタルジー

そのどれもが「行ってみよう、いつか」と自身に刻み込まれた。

 

三途の川を越えて

同じバスに乗り合わせてやってきた者たちは数えるほどというわけでもない。けれどこの地では誰もが厳かな心持ちになるらしく、それはそれは静かだった。

恐山菩提寺前ので手を合わせる来迎の像

観光地のような様相も賑わいもなく、ただ訪れる者に門を開く。

恐山菩提寺

"菩提(ぼだい)" とは悟り、"菩提寺" は先祖代々の位牌を納めてある寺のこと。其処此処で華を添えるカラフルな風車は、この地において象徴的な存在感を纏っている。

恐山菩提寺前にずらりと並ぶ六地蔵像

風車を供えるのは水子供養の寺でもあるかららしい。

親よりも先に逝く

そうすると近くに三途の川の石積みエピソードが思い出されて物悲しい。

親よりも先に逝くことは大罪とされ、幼くして亡くなった子供たちは三途の川の畔で石を積まされるも、見回る鬼に「こんな粗末な塔ではいけない、やり直せ」とせっかく積んだ石を叩き崩されてしまう。

死してなお苦行を強いられ、決して三途の川を渡らせてはもらえない。

いつまでもいつまでも、その業は繰り返される。

そんな幼い子供たちの冥福を祈り、少しでも安らかに、そして悟りを拓けるようという祈りもまた、この地を「あの世に最も近い場所」たらしめているかもしれない。

 

祈りが形を成した場所

航空写真で恐山界隈を眺めると、火山群に囲まれた宇曽利湖が円形ではなくハート型を成していることがよく分かる。湖の北側に位置する菩提寺は、ちょうどハート型のくぼみに収まっている。

周辺の山は緑地、けれど恐山菩提寺の周辺は白く、荒涼たる様相に見える。

その門の先こそ、本当に「あの世に最も近い場所」なのだろう。